Q50. ESRの発明の背景: ESR/EPRの発見とYevgeny Konstaninovich Zavoisky

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 SR/EPR(Electron Spin Resonance/Electron Paramagnetic Resonance)は端的に言えば、電子のZeeman準位間の磁気モーメントの量子遷移(共鳴)(Larmor回転)であり、最初の実験的観測はロシア(当時ソ連)のYevgeny Konstaninovich Zavoisky [1] によってCuSO4・5H2O(固相、g=1.94)について1945年に行われたと多くのテキストに記載されているが[2]、ESR/EPRの発見は若きZavoiskyの学位論文がモスクワの当時のソ連科学アカデミーに受理された1944年5月をもって発見の公式の日づけとされている [3]。驚いたことに、ZavoiskyはMnSO4・4H2Oについてすでに超微細禁制遷移も発見しており、多量子遷移にも言及している。

 Zavoiskyの歴史的発見は、不幸にも正当な国際的な認知が遅れただけでなく軍事技術の利用などという根拠のない謂れも伴い、BlochやPurcellと共にノーベル物理学賞の栄誉を受けることを逸した。その後Nobel Prize Nomination Databaseによると、1958年から1966年の間に17件ノーベル賞候補に推薦されているが、広く磁気共鳴分野の国際会議や科学の世界においてZavoiskyの歴史的功績が公平に認知されるのは、1969年以降、あるいは1976年以降である [4]。

 Zavoiskyと協力者の尽力により [5]、ESR/EPRの発見はNMRのそれよりも早いが、気相系に比べてはるかに複雑な固相や液相で磁気共鳴が同時期になされたのは、第2次世界大戦を契機に発展したマイクロ波や超短波の発振技術・通信分光技術、微弱な電波検出素子(半導体ダイオード)の発展が背景にあったことは事実と思われるが、それに以上に当時の学問的背景・要請のようなものがあったと思われる。George E. Pakeは、有名な著書 ”Paramagnetic Resonance” (W. A. Benjamin, Inc., NY, 1962)の中で、当時の低温物理学者の間で電子磁子(スピン)の集合と結晶格子の振動の自由度との熱的接触に関して重大な関心(断熱消磁)があり、電子スピン共鳴の実験が「この熱交換にはどれくらいの時間を必要とするか」というスピンー格子緩和時間について、多くのことを示唆すると考えていたことを述べている。同様の視点を、伊達宗行大阪大学名誉教授が、「電子スピン共鳴」(新物理学シリーズ20、培風館1978年)の冒頭の「1-1スピン共鳴の発見」で一層包括的に看破しているのは、画期的な発見の背後には時として人間の知的活動に特有なドラマのようなものがあることを語っていて、この一節は今日でも新鮮な感を与える。

 レーザーと同じ原理で動作する室温メーザー(有機分子の ππ* 励起三重項状態におけるマイクロ波発振)がメーザーの発見後に登場したレーザーのその後の著しい発展の陰に隠れて一見顧みられなくなっていた昨今、一転して深宇宙通信の主役として脚光を浴びる時代は、独創的なアイディアが確かに時代を先取りすることを教えている。最先端の量子スピン技術を支えるZavoiskyの発見も同様である。

【文献】
[1] Sept. 28, 1907 - Oct. 9, 1976. Kazan State Univ.(ロシアで3番目に古い大学で、 現Kazan Federal Univ.)の物理学者で、第2次世界大戦の影響で当時のソ連科学アカデミーの多くの研究所は、研究者の家族ぐるみでKazanへ疎開していた(Landauもその一人で、Kazan Federal Univ.には、自らは本を執筆しなかったと言われるLandauのメモが多く残されている)。
[2] E. Zavoisky, Spin-Magnetic Resonance in Paramagnetics, J. Phys. USSR, 9, 245 (1945).
[3] E. K. Zavoisky, Paramagnetic Absorption in Orthogonal and parallel Fields for Salts, Solutions and Metals, Thesis in Russian (Kazan State University, 1944).
[4] Kazan State Univ.には、Zavosikyの名前を冠したZavoisky Physical-Technical Institute、博物館をはじめ歴史的功績を顕彰する施設、モニュメントや、恒常的な国際事業が行われている。中でもKazan Federal Univ.が所在するタタールスタン共和国の大賞でもあるZavoisky Awardは、当時のInstitute所長のProf. K. M. Salikhovによって1991年に創設され、日本人科学者が2019年時点で3人受賞している。
[5] この間の事情は、「入門電子スピンサイエンス&スピンテクノロジー、第7章ESRはいかに発明されたかーESRの黎明」(電子スピンサイエンス学会監修、米田出版2010年)に、Zavoiskyの直接の協力者のYu. V. Yablokovが寄稿しているが(故下山雄平訳)、”The Beginning of Paramagnetic Resonance”(B. I. Kochelaev, Yu. V. Yablokov, World Scientific, 1995) に詳しく書かれている。