Category: ESR50Qs

電子スピンサイエンス学会は、電子スピンが関わる広範な科学技術について興味をもつ人が集まった一般社団法人です。その会員の多くは、研究や開発、ビジネス、教育などで、電子スピン共鳴(ESR)を計測する分光装置を使用しています。このESRは、可視紫外や赤外など他の汎用分光計測装置に比べ、測定原理や計測のノウハウなどでやや特殊な事情をかかえています。そのため、適切な測定条件や試料の調整について誤解があったり、測定結果に対して誤った解釈をしてしまうことがあるかと思います。ESRは大変便利なツールであることは間違いない事実ですので、「ちょっとした疑問は早く解消し、皆様にESRを身近に感じていただきたい」との思いが電子スピンサイエンス学会にはあります。

今回、公開することとなりました「ESR50のぎもん」は、このような動機から制作することとなりました。まず始めにESR測定に関わっている方々から素朴な疑問を募り、それを50件に集約いたしました。これに対し、電子スピンサイエンス学会の会員に疑問の回答をなるべく平易な表現で用意するように依頼し、全体を取りまとめました。1問につき、1~2ページ程度の回答文章および挿絵を入れ、柔らかい雰囲気の仕上がりになるように配慮いたしました。50件の疑問となると、対象範囲は大変広く、「初学者に対して」を謳い文句として制作しましたが、ベテランの方々でも意外な発見があるかもしれません。

公開にあたっては、利便性を重視してWeb公開方式といたしました。皆様におかれましては、「ESR50のぎもん」を気軽にお使いいただき、ESRを用いた活動に役立てていただけることを、編集担当者として願っております。また、ESRへの疑問は50につきないかと思います。Web公開の利点を活かし、今後、内容が拡大していくことも期待しております。

2022年8月16日
一般社団法人 電子スピンサイエンス学会
第09期 学術事業担当 理事
     山中 千博(大阪大学)
第10期 学術事業担当 理事
     河合 明雄(神奈川大学)

Category: ESR50Qs

電子スピン共鳴分光(Electron Spin Resonance Spectroscopy: ESR)を行う装置をESR分光器(スペクトロメーター)と呼んでいます。一般に「分光する」とは、光や電波(電磁波ともいう)の波長と強度の関係を調べることを言います。(重さを分ける場合は、spectrometry:計量術という別の言葉になります)。光や電磁波を物質(試料)に照射すると、光(電磁波)は物質に吸収されたり、物質から反射されたりしますが、これが物質の性質を反映した情報をもっています。
ESR測定では、磁性(スピン、磁気モーメント:正確には常磁性物質)を持つ試料に、電磁石などを用いて磁場を加えます。それと同時に電磁波を照射し、試料が電磁波を吸収する様子(電子スピン共鳴現象)を観測します。
ESRの場合は、通常マイクロ波とよばれる波長3cm程度の電磁波を使いますが、Q2で述べるように光の分光法とは少し違います。光分光では、電磁波のもつ電場と物質の作用を観測しますが、ESRでは、電磁波の磁場成分(電磁石が与える磁場と区別するため、高周波磁場といいます)と物質の間の作用を観測する違いがあります。一般的なESR装置では、試料に与える電磁波の波長を固定して、試料に与えている電磁石磁場(静磁場)の強さをゆっくり変えながら測定して、いわゆる磁場スペクトルを得るのです。
図にESR装置の例を示します。マイクロ波を発振、受信するマイクロ波ユニット、試料に磁場を与える電磁石、試料をセットするとともに、試料位置でマイクロ波を共振(重ね合わせ)させ、試料位置での高周波磁場強度を高くするための試料共振器、感度を上げるために電磁石の静磁場強度を0.03% ほど上下させる磁場変調装置、電磁石などを水冷するための装置、位相同期回路や制御用の計算機などからなりたっています。

Category: ESR50Qs

ESRで用いられているのはマイクロ波ですが、マイクロ波も電磁波ですので、光の一種です。そのため、ESRも電子スピンがマイクロ波を吸収する現象を観測する光吸収分光の一種だと考える事が出来ます。しかし、周波数、波長が異なる事から次のような違いがあります。

1.光吸収が主に電磁波の内の振動する電場成分のエネルギーを物質が吸収するのに対して、磁気共鳴では電子スピンの磁気モーメントが電磁波の振動する磁場のエネルギーを吸収します。その為、ESRではマイクロ波の中の高周波磁場が最も強くなる部分にサンプルを設置して測定します(図参照)。しかし光の波長はマイクロ波と比べて非常に短いため、電場成分と磁場成分とを空間的に分ける事は困難です。

2.ESRではキャビティや共振器を用いて電磁波とサンプルとの相互作用を強めて、測定感度を上昇させています。光吸収でもミラーによるキャビティを用いた測定は可能ですが、さほど一般的ではありません。さらに、光吸収では単純に物質による光の強度の減衰を観測するのに対して、ESRでは電磁波の位相が90度ずれた成分を観測する検波法を用いて電磁波の吸収を観測する場合が多くあります。このような測定法は光のような振動数が高い電磁波においては技術的に難しくなります。しかし、近年では分光測定においても質の良いレーザ光を用いて、同様の測定が可能になりつつあります。

Category: ESR50Qs

携帯電話やテレビ・ラジオなど「電波」は身近な言葉です。でも、電波とはどういうものなのでしょうか?

電波・電磁波とは、光の仲間です。空間を伝わっていく電気(電界とか電場といいます)と磁気(磁場、磁界)の強さが時間とともに変化していく波です。こういった波は目には見えませんが、エネルギーの流れであり、これを用いて情報(音声や文字など)も送れます。音声などの情報は、マイクを通じて電気信号になり、この情報を電波の波に載せて、遠いところに送信できます。この電波をアンテナで受ければ、そこに電流が流れ、これを増幅して送られた情報を元に戻して利用するわけです。電波は、電磁波の中で1秒間に3×1012 回(3兆回/秒, 3 THz)以下の振動するものして電波法では決められています。(Hzは1秒当たりの波の振動回数を示す単位で、Tはテラとよみ、1012を表します。)

一般的な電子スピン共鳴(ESR)法では、9×109(90億、9 G(ギガ)Hzの電磁波を使います。この電磁波を試料に照射すると、電子スピンと反応して(相互作用といいます)、反射されてくる電磁波の変化から、情報を引き出すわけです。歴史的な経緯から、1 GHz帯をLバンド、9 GHz帯をXバンド、20 GHz帯をKバンド、35 GHz帯をQバンドと呼んでおり、ESR測定で用いられています。

Category: ESR50Qs

電場や磁場は、単位電荷(電気量)、単位磁荷(磁気量)対する力で定義されています。その単位は、それぞれN/C(ニュートン/クーロン)、N/Wb(ニュートン/ウェーバー)です。これは、単位変換により、N/CはV/m(ボルト/メーター)、N/WbはA/m(アンペア/メーター)ともかけ、基準からはかった電圧(電位)を距離で割ったものが電場、電流の流れに対して右ネジの法則でできるものが磁場であることに対応します。電気力線を束ねた電束の密度を電束密度といい、その単位はC/m2(クーロン/平方メーター)となります。また磁束線を束ねた磁束の密度を磁束密度といい、その単位はWb/m2(ウェーバー/平方メーター)またはT(テスラ)といいます。

 電場Eの単位はN/C(ニュートン/クーロン)です。それは電荷q(C: クーロン)に働く力をF(N: ニュートン)とすると、電場EF = qEと定義されるからです。つまり、1 Cの電荷に働く力を電場と呼びます。一方、電場Eは電位Vの勾配でも表すことができます(数式で書くとE = -grad V)。よって、電場Eの単位はV/m(ボルト/メーター)とも表すことができます。

 電束密度Dの単位はC/m2(クーロン/平方メーター)で表されます。電気力線を束ねたものを電束(C: クーロン)といいますが、その密度(単位面積を貫く電束の大きさ)を示しています。ある電荷や電束によってできる電束密度Dの大きさは物質によらず同じですが、電場Eは物質の誘電分極Pにより弱められ、ε0E = D - Pという関係となります。なお、ε0は真空の誘電率です。

 磁場Hの単位はN/Wb(ニュートン/ウェーバー)で表されます。磁荷qmがあると仮定し、そこに働く力F(N: ニュートン)とすると、磁場HF = qmHと定義されるからです。つまり、1 Wbの磁荷(磁気量)に働く力を磁場と呼んでいます。ただし、磁荷は必ずN極とS極がともに存在するため、注意が必要です。一方、導線を電流が流れると磁場が生成する(アンペールの法則)ことから、磁場Hの単位はA/m(アンペア/メーター)とも表すことができます。

磁束密度Bの単位はWb/m2(ウェーバー/平方メーター)もしくはT(テスラ)で表されます。磁束線を束ねたものを磁束(Wb: ウェーバー)といいますが、その密度(単位面積を貫く磁束線の大きさ)を示しています。ある磁束によってできる磁束密度の大きさは物質によらず同じですが、磁場Hは物質の磁気分極Pmにより変化し、μ0H = B - Pmという関係となります。μ0は真空の透磁率です。磁気分極Pmは磁化Mや磁化率χを用いて、Pm = μ0M = μ0χHで表されます。

以上は高校で習うMKSA単位系(SI単位系)の表記です。CGS単位系(cm, g, sを使う単位系)では、磁束、磁束密度、磁場の単位はそれぞれ、Mx(マクスウェル)、G(ガウス)、Oe(エルステッド)といい、1 Wb = 108 Mx、1 T = 104 Gです。

磁石の強さはその磁石がもつ磁場Hで表すこともありますが、磁束密度Bで 表すことも多くなっています。この場合、磁石の強さとしてB0Hと示されます。磁場にさらされた物質は、磁気分極するので、μ0H = B - Pmの関係で物質内部の磁場の強さが変わります。

Category: ESR50Qs

磁石同士が引き合う力を表すものを、磁気モーメントと呼びます。棒磁石などの大きな磁石は、原子や分子の小さな磁石の集まりです。電荷をもつ物質が運動すると、磁石の性質があらわれます。原子中の電子は原子核のまわりを運動しているので、公転運動*による磁場が発生します。さらに電子の自転運動*によっても磁場が発生します。これら電子の運動*によって、磁気モーメントが発生します。原子や分子内の磁気的な性質を調べれば、分子の結合や反応性、電流の流れやすさなどの物質の性質を知ることができます。

 電子の自転*のことを電子スピンと呼びます。分子中にはたくさんの電子がありますが、いつも磁石になっているわけではありません。これは、棒磁石のN極S極がくっつくと磁力を打ち消しあって安定になるように、電子もペアを作って磁力を打ち消しあい磁力が消えるからです。ところが、化学反応途中の物質や遷移金属など、なんらかの理由でスピンがペアにならず単独で電子軌道に入っている物質には磁力が発生します。この電子のことを不対電子と呼びます。ESRでは不対電子の磁気モーメントを検出して物質の性質を調べています。

(*スピンを自転に例えるのは古典力学的な説明です。量子力学的にみて、電子がコマのように自転しているわけではありません)。

Category: ESR50Qs

ここでは、電子スピン共鳴(ESR)に関わる電子のゼーマン効果にスポットを当てましょう。一言で言うと、磁場中で電子のエネルギー準位が分裂する現象をゼーマン効果と言います。

 電子は、量子力学的に「スピン」という自由度を持っています。巷の解説書で「電子の自転」とよく比喩されるものです。このスピンが原因となって、電子はミクロな磁石の性質を持っています。

 磁場がない時、ミクロな磁石はランダムな方向を向いていますが、磁場が印加されると、ミクロな磁石は磁場に対して平行(ダウンスピン)と反平行(アップスピン)に配向します。

 磁石は磁場方向を向いた方がエネルギー的に安定ですので、ダウンスピンのエネルギー準位は印加磁場に比例して低いエネルギーへ、逆にアップスピンのエネルギー準位は印加磁場に比例して高いエネルギーへ移動します。

Category: ESR50Qs

携帯電話やラジオ・電子レンジなどが発する「電波」は光と同様、空間を伝わっていく電場と磁場の振動を起こす電磁波です。「共鳴」とは、これら波による振動のエネルギーが物質など、別のものへとエネルギーとして伝わっていく様子を表す言葉として使われます。音叉による共鳴では、二つの音叉を近づけ片方の音叉Aを鳴らすと固有振動数による空気を揺らす波として音叉Aから音叉Bに音が伝わります。この時、もう片方の音叉Bの固有振動数が音叉Aの固有振動数と等しい時だけ波が伝わります。このように、マイクロ波など電磁波がもっている波の固有振動数に相当するエネルギーだけが別の物質に伝えることができます。

 ミクロの世界では、電子などの素粒子は電磁波と同様に波としてふるまいます。電子の自転運動で生じる電子スピンのエネルギーもある固有振動数を持った波の性質から生まれています。ですから電磁波の照射で電子の自転エネルギーを変えるには、電子の自転による上向きのスピンと下向きのスピンによる波のエネルギー差と電磁波の振動エネルギーとが一致しないと共鳴しないわけです。電子の自転によって環電流が生まれ、電子スピンは磁石としてもふるまうので、外部磁場が存在すると上向きスピンと下向きスピンのエネルギー差は増加します(ゼーマン効果)。この時、電磁波エネルギーと二つのスピンのエネルギー差であるゼーマン分裂が一致する時だけ電磁波エネルギーが電子スピンに伝わる「共鳴条件」となります。

Category: ESR50Qs

ESRで使う空洞共振器(キャビティ)は、周波数を絞り込むために使っています。みなさんがもしESR装置を使ったことがあれば下の図のような形を見ることがあると思います。これがQ-dipとよばれるものです。

Q-dipの形: 横軸は周波数、縦軸はマイクロ波の強度になります。谷の幅ΔωでQ値の良し悪しが決まります。

横軸が周波数、縦軸が空洞共振器からの反射量、つまり閉じ込められたマイクロ波の強さになります。その効率をQ値といいます。

 Q値は (中心周波数 ω)/(閉じ込めるマイクロ波の周波数幅 Δω) で計算されます。例えば ω=10 GHzのマイクロ波に対して反射マイクロ波の幅が Δω=1 MHzとするとQ値はおおよそ10,000になります。キャビティーの中に特定の周波数のマイクロ波がうまく閉じ込められればQ値が高くなり信号が強くなります。

 ただし、Q値が高すぎると速い時間変化を測定できないこともあります。例えば幅 Δω=1 MHzというのは時間でいうとおよそ1 マイクロ秒です。速い時間変化を取りたいときはQ値を低くしなければうまく測定ができません。

 装置の状態がわずかでも変わると共振器の共鳴周波数 ωも実験中に変わってしまいます。AFCはそれを微調整するための仕組みです。マイクロ波発振器は、加える電圧を変えると周波数が変わるのでQ-dipからずれた分を発振器に電圧を加えて周波数を元に戻しています。

Category: ESR50Qs

これはよく質問されることです。ESRは Electron Spin Resonance Spectroscopy =電子スピン共鳴分光法 のことで、EPRは、Electron Paramagnetic Resonance Spectroscopy =電子常磁性共鳴分光法 のことです。同じ磁気共鳴法では、核磁気共鳴分光法はNuclear Magnetic Resonance (NMR) Spectroscopy で統一されているのに対し、ESRは二つの名前があるのです。歴史的にはEPRが先に使われたようですが、現在は同義語として扱われています。

 ESR/EPRは我々の日常世界とは異なるミクロの世界の現象で、詳しくは量子力学で説明されるものですが、 量子力学で有名な、アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックス(頭文字をとってEPRパラドックスとも呼ばれる)とは何の関係もありません。電子回路では等価直列抵抗のことをESR(Equivalent series resistance)と呼びますが、これも全く別の物です。略語は便利ですが、業界や文脈で異なることもありますから、文章を書くとき、初めてその語が現れるときには、正式名称を書いておきたいものです。

 Paramagnetic とは、常磁性という意味ですが、これは、物質を磁性という尺度で分類するとき、強磁性体、反強磁性体、反磁性体などとよばれる物質と区別して用いられます。強磁性の物質とは、例えば磁石のように、定まった磁気(N極、S極)をもつことができる物質です。しかし常磁性物質とは、その物質の外から磁場があたえられたときのみ、弱い磁石のように振る舞う物質を言います。

 つまりS極にはNが引かれ、N極にはSが引かれるますが、外の磁石を取り去ると、なにも磁気を示さない物質です。もう少し詳しく言うと、不対電子の持つ磁気モーメント(スピン、スピン角運動量ともいう)は、ちょうど小さな方位磁石のように振る舞い、外から磁場が与えられると、常磁性物質中に多数ある不対電子は、集団としてその外部磁場の方向にスピンの向きを変えるのです。実際のESRでは、マイクロ波が共振器の中でもつ高周波磁場と不対電子が作用して、ESR共鳴を起こします。

Category: ESR50Qs

NMRもESRも、磁気共鳴法と呼ばれる計測方法の仲間です。原理もほぼ同じですが、何が違うのでしょうか。

 NMRは「核」磁気共鳴法、ESRは「電子スピン」共鳴法と呼ばれているように、NMRでは原子核(核スピンをもつものに限ります)、ESRでは電子スピン(不対電子)を観測対象としています。電子スピンも核スピンも小さな磁石と例えられるように、磁性を持っており、その磁力は電子スピンの方が大分大きいです(例えば、水素原子核の核スピンと比べると約650倍大きい)。また、スピンをもつ電子や原子核を静磁場中に置くと、静磁場の磁場に反応してコマのような回転運動を始めます(歳差運動)。

 電子スピンは、核スピンよりも強い磁力をもつので、核スピンよりも静磁場の磁力に応答しやすいです。そのため、同じ静磁場強度下では、電子スピンのほうが核スピンよりも高速で歳差運動をします。磁気共鳴法では、歳差運動の周波数に対応した電磁波を使用してスピンの動きを観測するため、ESRではNMRよりも高い周波数の電磁波を使うことになります。以上のことから、一般的にESRではNMRよりも低磁場・高周波で測定が行われます。電磁波の周波数で比較すると、NMRで使用される周波数は数10 MHz~数100 MHzなのに対し、ESRでは数100 MHz~数10 GHzがよく使用されています。

Category: ESR50Qs

ESR は、不対電子(電子スピン)の挙動を観測する測定手法であり、フリーラジカル(不対電子を含む物質)を直接的に検出できる唯一の計測手法です。電子スピンの挙動は、スピンが置かれた環境や、周囲の磁場、他の電子スピンや核スピンとの相互作用によって変化します。そのため、ESRで取得した信号を解析することで、その電子スピンがどんなラジカル種に含まれているのか、どれだけの量のラジカルが含まれているのか、物質中の電子スピンがどのような環境に置かれているのか、分子の形や方向といった構造、物質中にどのように電子が分布しているのかなどの情報を知ることができます。

 このように、ESRでは電子スピンを目印として多種多様な情報を取得できるので、多岐にわたる分野で応用されています。例えば、私たちの体の中にも活性酸素などのフリーラジカルが含まれています。そんなフリーラジカルの挙動をESRで調べることで、生体内の情報(酸素分圧など)やどんな反応が起きているのか、また疾患のメカニズムなどを調べることができます。そのほかにもESRで不対電子を観察することにより、電気材料や高分子材料など材料の磁気的な機能や、ラジカル発生が反応に関与するような触媒の活性、地質の年代、被ばく量なども知ることができます。

Category: ESR50Qs

ほとんどのESR装置は、マイクロ波の周波数を一定に保って、外部磁場を掃引して信号を記録します。ESRの測定時間に最も影響を及ぼすのは、磁場掃引の時間(掃引時間)です。磁場の掃引時間は短い方が測定時間は短縮できます。しかし、掃引時間が短すぎる、つまり磁場の掃引速度が速すぎるとESR装置とESR信号に悪影響を及ぼします。

 まず、磁場掃引速度が速すぎると、ESRの電磁石の励磁電源に大きな負荷を与えます。多くのESR装置には磁場掃引速度の上限値が設定されていて、電源が保護されています。

 次に、磁場掃引速度が速すぎるとESR装置の時定数が磁場の変化に追従できなくなって、ESR線形が崩れてしまいます。たとえば、ESR装置の時定数を1秒に設定した状態では、刻々得られる信号を1秒ごとに平均してESR信号を記録しています。この状態で測定磁場領域を1秒で掃引すると、あきらかに磁場掃引が速すぎて本来のESR線形が得られません。ESRスペクトルのS/Nが低くて時定数を0.3秒以上に設定する場合は、ESRの線形と掃引磁場幅にもよりますが、目安として少なくとも2分から4分以上の掃引時間が必要になります。

標準サンプルとしてg値決定などに使われれるDPPHラジカルのESRスペクトル: 一番上 (80秒) が正しいスペクトルだが、掃引時間が速い (下) と線型が崩れていく。
Category: ESR50Qs

ESRスペクトル(信号ともよぶ)は、その信号の大きさと線幅によって特徴付けられます。不対電子が多い試料では、縦軸(y軸高さ)方向に大きな変化を与えます。一方線幅とは、吸収線の横幅であり、しばしば吸収ピークの半分になる位置の幅で示されます(半値全幅 full width at half maximum, FWHMなどと呼ぶ)。ESRでは、スペクトルが微分型の曲線になるので、正のピークと負のピークの横幅をとってピーク間幅(peak-to-peak)で幅とする場合もあります。

 ESR装置の感度は信号の線幅にもよります。線幅が狭いほど、磁場スペクトルでの変化が明瞭に観察されるので、シャープな線幅を持つものは感度よく計れることになります。通常のESR装置の感度は、およそ0.1 mT程度のシャープなESRスペクトルをもつ試料に対し、109スピン程度です。つまり、一個の試料に、109 個の不対電子(スピン)があればスペクトルの変化として検出できると言う意味です。よって、試料中のスピン濃度が高ければ、少量でも測定できるし、スピン濃度が薄ければ大量の試料を試料管にいれる必要があります。通常のESR測定では、1012から1014程度のスピン数を持つ試料で測定がなされています。

 試料を入れるESRの共振器の大きさは、用いているマイクロ波の波長などによって制限があるため、通常のESR装置では、試料管(内径φ5-7 mm程度)、に高さ2-3 cm程度まで詰めることができます。比重2.4 g/cm3の試料ではおよそ200 mg程度まで入れることができます。

 実は、単一スピンを計測する特殊な手法なども開発されており、また通常のESR装置でも、コンピューターを使って弱いESR信号を時間的に積算・平均したりして、測定の感度を上げることは行われています。

Category: ESR50Qs

 ラジカルという言葉は社会や政治の世界で「急進的」や「過激的」という意味合いで使われる言葉としてよく使われています。物理学、化学、生物学の各分野でもラジカルという言葉が科学用語として頻繁に用いられています。私達の身の回りの物質を構成する原子や分子軌道は通常は軌道上に対になって二個の電子から構成されていますが、一部には対にならずに軌道上に一個の電子しか持たない物質が存在します。この電子のことを不対電子といって、不対電子を持つ原子、分子、イオンのことをラジカル(フリーラジカルとも言います)と言います。

 このラジカルは物質全体の中に占める割合はすくないのですが、特別な反応性を示し、半導体・メモリ・電池などをはじめとする各種の新素材の合成・開発、新しい医薬品などの合成反応に非常に重要です。また、金属錯体や生体中のヘモグロビンなどの金属タンパク質などの遷移金属の多くが不対電子を持っているものがあります。さらには生体の白血球や血管の細胞などではラジカルの一種でスーパーオキサイドや一酸化窒素を生成する細胞群があり、通常は殺菌や血流の正常な機能調節に必須です。しかし、ひとたびこれらの細胞が暴走するとがん、心臓血管疾患や各種の生活習慣病の原因となってしまいます。また、放射線の生体障害にも水由来のラジカルの細胞障害作用が関係しています。

 このように各分野でラジカルは重要な役割が認められるようになってきていることから、近年では物理学、化学、工学、生物学、医学など多くの学問分野でラジカルの検出や性質を調べる研究が盛んになってきています。このラジカルの検出には電子スピン共鳴法(ESR)が特異的に検出・測定できる方法として重要な手法として用いられています。

Category: ESR50Qs

 ESRの試料管は通常、5-7 mm程度の外径をもった細長い石英ガラス管です。天然石英(Natural Quartz)を用いた製品と,より高純度な合成石英(Suprasil Quartz)を用いた製品があり、途中でパイレックスガラス管を継いであるものが多いです。一方、NMRでは、パイレックスなどのホウケイ酸塩ガラスを使っているので経済的です。ESRでは、なぜわざわざ高価な石英管を使っているのでしょうか?

 これは、ESRで使っているマイクロ波の試料管による吸収(誘電吸収:誘電損)を少なくするためです。また、より高純度な石英では、不純物によるESRのノイズが少なくなります。より精密な測定を必要とする場合は、試料管の寸法精度を高めておくと、分析の再現性が向上します。小さなESR信号からスピン数の定量などを行う場合は、注意しましょう。少し大きな試料を測定する場合は、外径10 mm程度の試料管を使う場合がありますが、肉厚のものは誘電損があるため、避けたほうがいいでしょう。

 ESR試料管は、高価なので、洗浄して再使用する場合もあります。
1)紛体、固体物がある場合はまず 機械的に除きます。径2 mm程度の銅線を延ばして、その先端に洗浄用の紙などを巻いて掻き出すといいでしょう。
2)次に洗剤・水による洗浄を行います。傷がつかないように注意しましょう。
3)アセトン又はアルコールで洗浄したのち、口を下にして乾燥機内で乾燥します。

Category: ESR50Qs

 ESR装置で使用される電磁波は、Xバンドと呼ばれる9.4 GHz付近のマイクロ波です。また水分子は、酸素と一つと水素二つで構成される、くの字に折れ曲がった極性分子です。この極性分子は、プラスとマイナスの電気が少し距離を置いて存在している電気双極子と呼ばれる構造をもったもので、周囲の電場の変化に合わせて、その配向を変えようとする性質を持ちます。

 極性を持った水分子試料にESR測定のためのマイクロ波を照射すると、水分子の双極子がマイクロ波の電場により振動し、双極子回転による緩和現象による発熱を起こします(多くの水分子がそれぞれ動こうとして起こる摩擦発熱のようなものです)。その結果、試料に与えたマイクロ波は、ESR測定用として使用されるだけでは無く、水分子の発熱のために使われてしまうこととなり、ESR計測が旨く起こらなくなります。

 この現象は誘電損失と呼ばれており、電子レンジでの食品加熱に応用されています。電子レンジでは、水分子によるマイクロ波のエネルギー吸収(誘電損失)によって食品が加熱されるわけです。

 氷は水と同じ分子構造を持っていますが、固体であるので、分子の電磁場による振動が制限されるため、マイクロ波による誘電損失は小さくなります。よって、凍結試料では、マイクロ波による加熱は制限され、大部分のマイクロ波はESR測定のために使われます。そこで、凍結状態にした氷状の試料で、ESR測定を上手く行うことができます。またマイクロ波共振器の中では、定在波となった電磁場の分布があり、ESR試料はマイクロ波による高周波磁場の高い位置(同時に高周波電場が小さい位置)に置くため、誘電損失が小さくなります。

 水溶液試料を凍結させる場合は、水の膨張による試料管の破壊に注意しましょう。

Category: ESR50Qs

 通周波数が300 MHzから300 GHzの電磁波をマイクロ波と呼び、この周波数で、電場の正負が高速に入れ替わっています。この電磁波が持っているエネルギーが、電磁波を浴びているもの(サンプル)に移れば、これは暖められることになります。電子レンジでは、食品の中の水の電気的性質を使ってこれを加熱しています。

 サンプルが電流を流す性質(導電性)を持つ場合、マイクロ波の照射によって流れる電流(誘導電流)で発熱します(ジュール熱)。しかし、この誘導電流が流れるのはマイクロ波が入り込めるサンプルの表面付近だけです。一方、電流を流さない物質では、内部までマイクロ波が入り込み、特に誘電体とよばれる物質では、マイクロ波電場の変化によって分子が回転しようとして発熱します(誘電損失)。

 水分子は、くの字に折れた構造で、水素によるプラスと酸素によるマイナスが露わになった電気双極子を持っています。これが高周波電界の変化に従って揺さぶられるときに、熱が発生するのです。実際、電子レンジは周波数2.45 GHz、電力1 kW(キロワット)程度の出力で、ムラのないように回転台で温めていますね。一方、代表的なESRのマイクロ波周波数は9.5 GHzですが、パワーはせいぜい10 mW程度です。また共振器の中で、試料は高周波電場の最も弱くなる(逆に高周波磁場が最大になる)位置に挿入されていて、発熱しにくいようになっています。

 生体試料のように多量の水を含む試料を測定する時は、ESR測定用マイクロ波の周波数を1 GHz以下の電磁波(Lバンド)を用います。水分子の誘電損失の吸収ピークは、20-80 GHz にあって、低い周波数では、加熱が起こりにくくなります。

 電子レンジは、マグネトロンという発振素子で、2.45 GHzのマイクロ波を発生していますが、これは2.45 GHzが、マグネトロンで出しやすいためであり、また電波法という法律で加熱用の高周波を2.45 GHzに指定して、ほかの電波の用法を妨害しないようにしていることによります。

Category: ESR50Qs

 通常の吸収スペクトルが、波長軸に沿って、吸収強度がお椀のようにへこんでいるのに対して、ESRのスペクトルでは、負の方向に下がってから急に正の向きに上がってから落ち着くような不思議な曲線となります。ちょうど、吸収分光曲線の傾きだけを取り直したような曲線になっており、微分曲線とも呼ばれます。これは、ESRにおいても単純な場合は、もともとの吸収スペクトルの形はお椀のようにへこんだ形です。ESRでは、ノイズを削減するためと、感度を上げるために磁場変調分光法を採用しているのでこのような形になります。

 変調分光法とは、測定においてなにかの物理量を少しだけ上下させて、その変化に対応した周波数を取り出して、観測をする方法です。簡単に言えばラジオの電波の周波数を合わせることで、放送が聴けるようなものです。吸収分光で、試料を通過させる光を10 kHzでオン-オフ(のこぎりの歯状に変調)するとしましょう。オンオフしなくても入射光と出射光の差をとれば吸収された光の量はわかります。でも周囲の光が邪魔をして観測ノイズとなってしまう場合もよくあります。このとき、入射させる光(プローブ光という)を10 kHzでオンオフしているとすると、試料を通って出てくる光もオンオフされたものであるはずで、それは周囲のぼんやりとした光にはない特徴となります。そこで10 kHzだけの信号を取り出してやれば、試料を通過した光だけを観測できたことになります。これが光の分光装置における変調分光です。

 ESRでは、マイクロ波を変調するのではなく、電磁石がつくる静磁場を変調します。9.5 GHzのマイクロ波を用いるESRとEPRとはでは、磁場が333 mT程度ですが、磁場を0.1 mTほど上下させてやることで磁場変調分光とします。

 ESRスペクトルは横軸(x軸)磁場でマイクロ波吸収量を縦軸(y軸)に描きますが、磁場変調は、まさにdy/dx となる微分曲線になります。これはある静磁場位置の前後で、吸収強度がどう変わるか という測定になるので、その点におけるグラフの傾き(微係数)になっているのです。測定では、共振器の試料位置に、100 kHz程度で正負が入れ替わる電流を流して、これによる誘導磁場をつくって変調磁場とします。受信したマイクロ波から100 kHz成分だけを通す電子回路と、ロックインアンプと呼ばれる位相検波回路を用いて、ノイズを落とすとともに、電子スピン共鳴吸収した信号を高感度に取り出せるような測定を行っています。

Category: ESR50Qs

 光吸収スペクトルや赤外吸収スペクトルはベースラインと交差することのない吸収型の線型を示します。ESR信号はベースラインと交差する複雑な線型を与えますが、これは微分線型として信号を記録しているからです。微分線型として信号を記録するのは、スペクトルの分解能を改善するためです。そして、微分線型の信号を観測するために、磁場変調と位相検波という方法が採用されています。

 磁場変調の強度には、ESR線幅に応じた最適の強度があり、それは本来のESR信号線幅と同程度から1/2程度です。磁場変調強度がESR線幅に比べて大き過ぎると、観測されるESR信号の線幅は磁場変調強度に比例して増加するのでESR線型が崩れ、分解能も低下します。変調強度がESR線幅に比べて小さすぎると、本来のESR信号は得られますが、信号の強度が弱くなってS/Nが低下します。最適変調幅までなら、ESR信号のS/Nは磁場変調強度の増加に応じて向上します。下図はESR信号の線幅と変調幅のプロットです。

Category: ESR50Qs

 ESR測定でも試料の温度を変えながら、測定することが行われています。通常の共振器でも、ヒーターで加熱した温風を試料に当てることにより、100 ℃程度の測定が可能です。高温共振器を用いるとより高温の200 ℃程度での測定が可能です。いずれも共振器などを水冷する装置が必要です。

 試料を低温にすることにより、周辺環境の熱による影響を減らして、室温では見えなかったESR信号を観測することなどができます。この場合、よく使われるのは液体窒素(-196 ℃)です。液体窒素にそのまま試料を漬け込むことで液体窒素温度での測定が可能で、このときは、2重の石英ガラスでできた魔法瓶(デュワー)を用いて、これに液体窒素と試料を入れて共振器に差し込みます。液体窒素は、気化して泡になりますが、これがコポコポと不規則に発生すると、ESRの共振測定条件を悪くしますので、様々な工夫が必要です。簡単に言えば、ESR測定部で泡の発生を防ぐことが必要で、気化するときに核となる氷の微小結晶やゴミが試料管につかないように注意することで、泡の発生は減らせます。また共振器内には乾燥空気などを流して、空気中の水分から霜がつかないように注意してください。

 このほかに、可変温度装置(ヒーター)を用いて、液体窒素や液体ヘリウム(-269 ℃)を気化させて、低温のガスを共振器内の試料に吹き付ける方法があります。ガスの温度を変えることができるので、様々な温度でESR測定を行うことができます。これも、空気中の霜がつかないように、共振器まわりは常温の水を循環させて、一定温度を保持します。もしこの循環水を止めてしまうと、共振器の水循環層(ウォータージャケット)で水が凍結し、氷の膨張によって、共振器のウォータージャケットを壊してしまいますので注意してください。特に、冷却実験が終わって、共振器がまだ冷たい状態で、循環水のイッチを切ってしまうとこのトラブルが起こることがあります。

Category: ESR50Qs

 シグナルの強度は、電子スピンの分極といわれるものと、スペクトルの線幅で決まります。電子スピンの分極とは、マイクロ波の吸収の対象になる、エネルギーの低い状態と、マイクロ波を吸収して出来るエネルギーの高い状態との間の、スピンの数の差になります。この電子スピンの分極は熱平衡状態では、温度が低いほど大きくなります(図参照)。これが測定温度を下げるとシグナル強度が増加する原因です。ちなみに、同じ温度では強い磁場を用いて高い周波数のESRを用いた方が、分極が大きくなり測定感度が高くなります。

 一方で線幅は溶液中の分子では温度が高いほうが分子の回転が速くなり線幅が小さくなることがあります。その場合は温度を下げるとシグナル強度が減少することになります。しかし,固体中では線幅はさほど大きく変化しない事が多く、上で述べた電子スピン分極の要素が大きくなります。

Category: ESR50Qs

 g値は、電子スピンが磁石としてどの程度のエネルギーを外部磁場より受けことができるか示す比例定数です。電子スピンがラジカルなどの分子に存在していると、スピンの磁気の性質は、分子の化学結合に役割を果たしている電子自身の公転運動によっても環電流が生まれ磁気の性質を生じます。この公転でスピンが受け取るエネルギーは化学結合でできる分子の形状によって変わることから、外部磁場方向に対する分子の配向によってg値が変化します。(磁気異方性)

 しかし分子自身が液体中で高速に回転運動していると、この磁気異方性は平均化され単一のg値として外部磁場からのエネルギーを受け取ることになり、共鳴条件を満たす外部磁場は一定の値だけを示すことになります。一方、固体中でラジカルを観測すると磁気異方性により分子の向きによって変化するg値を反映した無数の共鳴磁場が与えられ、その結果スペクトルは広がります。磁気異方性の起源にはスピン同士の相互作用エネルギーによるスペクトルの広がりもあり、固体中では複雑な電子スピン共鳴スペクトルが得られることがあります。

Category: ESR50Qs

 マーカーは、一般的には目印・標識として利用できるもの、あるいは目印・標識をつけるものを指す言葉です。では、電子スピン共鳴(ESR)測定におけるマーカー(ESRマーカー)とはどういうものなのでしょうか?

 ESR測定では、静磁場の下で。試料に電磁波が吸収される時の磁場の値(共鳴磁場)と電磁波の周波数から、実験パラメータとして試料に固有なg値が求められます。さらに電磁波の吸収の程度から、試料に含まれるスピン数が求められます。g値を周波数計数器や磁場測定器を用いずに簡便に求める方法として、別に用意したg値のわかっている標準ラジカル(gマーカー)とのスペクトル上での位置関係から、試料ラジカルのg値を求める方法があります。

 ESRマーカーのg値やスピン数は、あらかじめ分かっています。これらの値と測定で得られた試料の値とを比較することで、簡単に試料のg値やスピン数を計算できます。代表的なESRマーカーとしてMn/MgO(マンガン(Mn)マーカー)の標準試料が有ります。これは非磁性の酸化マグネシウム(MgO)の中に、磁性を持つMn2+ が含まれています。Mnの原子核はスピンを持つため、6つのESRの共鳴磁場を示し、それらのg値は分かっています。これらの値を用いることで精度良く試料のg値を求めることが出来、良く利用されています。

 gマーカーに用いる試薬としては、DPPH(2,2-ジフェニル-1-ピクリルヒドラジル)、TCNQ-Li(テトラシアノキノジメタン リチウム塩)、あるいはMn/MgO(マンガン(Mn)マーカー)の標準試料(非磁性の酸化マグネシウム(MgO)の中に、磁性を持つMn2+が含まれている)などがあります。

 DPPHとTCNQ-Liの粉末はいずれもESRで1本のシグナルが検出され、g値はDPPHで2.0036、TCNQ-Li で2.0026です。試料をこれら試薬のうち1つと一緒にESRで測定すると、スペクトル上に試料のシグナルにgマーカーのシグナルが重なります。試料とgマーカーのシグナルの間隔から試料のg値を求められます(図)。

 また、MnOに含まれるMn2+は、周波数によってシグナルの形が変わりますが、Xバンドでは6本のシャープなシグナルが検出されます。このうち低磁場側から3本目と4本目のシグナルの間に有機ラジカルのシグナルが入るためマーカーとしてよく使われます。見かけのg値は、3本目が2.034、4本目が1.981で、試料のシグナルの両側に現れるこれら2本のシグナルを使って、より精度よく試料のg値を求めることができます。装置によっては測定部にMn2+マーカーが取り付けられており、スペクトルから装置付属の解析ソフトによってg値を求めることができるようになっています。

Category: ESR50Qs

 マンガン(Mn)原子は2価(2+)の場合に電子スピンを持ちます。また、Mnの原子核はスピン(核スピン)を持っています。電子スピン共鳴(ESR)測定の時にはMnの電子スピンに磁場を加え、電磁波の吸収を観測します。Mnの核スピンは、その電子スピンに磁場と同様な影響を与えます。磁場の方向に対する核スピンの向きに依存して、ESRが生じる磁場の値(共鳴磁場)が変化します。この効果によりESRの共鳴磁場が複数に分かれます。分かれる本数は核スピンの大きさ(I)で決まり、その数は(核スピンの大きさ)x 2 + 1 = 2I + 1で表せます。この数はスピンの多重度と呼ばれ、スピンの向きで可能な状態の数を表します。Mnの核スピンの大きさはI = 5/2であることが知られており、この場合の共鳴磁場は(5/2) x 2 + 1 = 6本に分かれます。このように核スピンが電子スピンに影響を与えることを超微細相互作用と呼びます。

 代表的なMn2+ の試料にESRマーカーとして用いられるMn/MgOの標準試料(Mnマーカー)が有ります(「ESR50のぎもん」Q23参照)。6本に分かれる共鳴磁場の間隔は、近似的には等間隔です。厳密には完全な等間隔ではなく、核スピンの向き(mI、核スピン量子数のz成分)の2乗に比例するずれが少し生じます。詳しくは下記の式で記述されます。

 Mn2+のESRの共鳴条件式。Hobsが観測される共鳴磁場となる。(日本電子株式会社「ESRの使い方」p.17より転載)

Category: ESR50Qs

 食品のESR測定・解析を試みますと、塩(NaCl)を含む食品に共通するESR信号があると気付きました。まず、ESR装置には標準・基準サンプルとして酸化マグネシウム(MgO)で希釈したマンガン二価イオン(Mn2+)が常備されており、マーカーとして重宝にされています。これからみる含塩食品ではMn2+はNaCl中の信号として見ることです。市販のESR装置は一般にX-バンド帯域を計測するため、NaCl中のMn2+は特有のスペクトルパターンを与えます。NaClの格子欠陥と周波数特性が絡んでいます。他の帯域(Q-バンド等)では、特殊性はありません。

 図は、梅干のESRスペクトルです。このように微分形では、両サイドがよりブロードな歪のある5本線の信号を示しますが、積分形では5本線は等強度です。すなわち、 Mn2+を計測しています。両端にもう一本隠れているバナジウムの信号ではありません。g値、線間隔ともMgO中のMn2+と同じ数値を示します。図に示すように、美味しい良質の梅干はセンター部位にフリーラジカルさえ示しません。赤真布ノリや多くの海藻類も同様のパターンを示します。もちろん、岩塩はMn2+の宝庫です。お茶もMn2+を多く含みます。これを30倍位NaClで希釈すれば、図に示すパターンが得られます。食品には、他に鉄三価イオン、銅二価イオン、クロム三価イオン等のESR信号を与えることはもちろんですし、固有のフリーラジカルを個別に観測できる楽しみもあります。

Category: ESR50Qs

 宇宙にポツンといる自由な電子なら、上下左右はないので異方性は無いはずです。でも、私たちがESRを測るのは、「何か『もの』の性質や構造を調べたい」と思っているからですね?それらは、分子だったりタンパク質だったり結晶中のイオンだったり様々ですが、形作っている物に違いありません。つまり複雑な形を伴った異方性のあるものでしょう。同時にESR信号を与える電子のフロンティア軌道(電子の分布)も形があるもの、すなわち異方性があります。このフロンティア軌道や近いエネルギーレベルの電子の拡がる形がg値の異方性を与えます。最近では量子化学計算も発達してきているので分子の形から異方的なg値の大きさを求めることも可能になってきています。

 g値とは、加えるエネルギー(周波数)と磁場の大きさの比に関わるものです。ですからg値を正確に求めるには、周波数と磁場をいかに正確に求めるか?がポイントになります。周波数は周波数カウンターを用いることで精度良く求めることが可能です。一方で磁場は電磁石の場合ヒステリシス(履歴)がありますので、その実験時の磁場を読み取る必要があります。ホール素子の場合は、4桁程度、NMRを用いた磁場計の場合には6~7桁程度の精度があります。ホール素子の場合でもMnOなど標準物質で校正し精度を上げることも出来ます。一方で、特に線幅が広いESRスペクトルの場合にはいかに綺麗な信号を得るかが問題になり、フィッティングを掛けたときの誤差が支配的になることもあります。

Category: ESR50Qs

 電子のg値(g因子)はESRの共鳴条件 hν=gμβH にあらわれる係数です。hνはプランク定数とマイクロ波の周波数の積で、1個の不対電子スピン(スピン角運動量をもつ)において1回共鳴吸収がおこるときのマイクロ波のエネルギーです(マイクロ波光子のエネルギー)。μβ は、電子スピン一個の小磁石の強さ(ボーア磁子)、H は共鳴したときの静磁場の大きさです。実験装置上では、νがマイクロ波発振器でセットしたマイクロ波周波数(~9.5 GHz)で、h, μβは定まった物理定数、Hが電磁石で与えた共鳴時の静磁場の大きさです。

 束縛を受けていない自由電子の場合、g=2.002319 と計測されています。電子スピンは量子力学で1/2なので、これは2となるべき数値なのですが、理論的には量子電磁力学的な補正を含めて説明されます。実測では、マイクロ波の周波数νを周波数計で測定し、共鳴吸収を起こしているときの静磁場Hをテスラメーターで測定すればg値が計算できます。よってg値でそれぞれのスペクトルを区別することがでます。ESRスペクトルでは、それぞれの信号の磁場位置でそれが、なんの不対電子によるものであるか、帰属を明らかにしてもいいのですが、装置が異なる場合、共振器の差などによって、磁場強度やマイクロ波周波数が異なる場合があります。すると同じESR信号が異なった磁場に出てしまうので比較が難しくなりますが、g値を用いると共通の値で議論ができます。

 試料中の不対電子は、その化学的な結合状態、軌道運動や、周囲の原子の価数や構造的な欠陥(原子の抜け穴)などにより、様々な環境にあって、それぞれが感じる磁場強度が異なる場合があります。そこである範囲の磁場にわたってESRスペクトルが得られます。結晶格子で不対電子のある部分を中心(センター)と呼びますが、ESR信号が g=2.002319より大きい位置にある場合を、不対電子のために電子が通常より多いという意味で電子中心、電子数が少なくなっている逆の場合をホール中心としてわける場合があります。

Category: ESR50Qs

 ESR信号の線幅ΔHは、主にふたつの緩和時間T1とT2の影響を受けて決まります。緩和時間のうちT1は縦緩和の時定数で、マイクロ波を吸収してゼーマン分離した上の準位に励起された不対電子が基底状態(元の状態)に戻るまでの平均的な時間を示しています。T2は横緩和の時定数で、他の不対電子と相互作用することにより揃った状態の不対電子がバラバラの状態になっていくまでの平均的な時間を示しています。線幅ΔHはこれら緩和時間の逆数に比例することから、緩和時間が小さいと線幅の広い信号に、緩和時間が大きいと線幅の細い信号になります。緩和時間は、スピン濃度や試料温度などさまざまな理由で変化します。

Category: ESR50Qs

 不対電子を持つ活性酸素種のような化学種(フリーラジカル)は不安定な状態をとり短時間で消滅することが多く、ESRで精度良く検出するには特殊な技術を必要とします。

 1つの方法としては、不安定なラジカルを捕捉(トラップ)するスピントラップ剤を用いて比較的安定なラジカル種に変換してESRを検出するもので、スピントラップ法と呼ばれます。一般的なスピントラップ剤としてDMPOがあり、スーパーオキシドラジカルO2·-やヒドロキシルラジカルHO·を区別して検出することが可能です。ただしこの方法は、スピントラップ剤の短寿命フリーラジカルとの酸化反応生成物として生じる安定ラジカル(スピンアダクト)を検出している間接的なものです。

 より直接的にラジカルを検出する方法として、測定対象が液体の場合、反応溶液系を高速でESR測定装置に流入させ、短寿命のラジカルを検出する高速流通法があります。時間に関する検出性能(時間分解能)を高めたESR装置を必要としますが、定量性に優れた計測が可能となってきました。一方、フリーラジカルの消滅に寄与する反応を止めることによって短寿命フリーラジカルの検出を行う方法として凍結法があります。これは液体窒素によって、瞬時に凍結溶液を生成し、固体ESRとしてESRスペクトル解析を行うものです。いずれの方法も長所短所があり、現在も多くの研究者がラジカル反応の分子機構を解明するために、より精度良く短寿命フリーラジカルを検出できる方法の開発に取り組んでいます。

Category: ESR50Qs

 本来ESRスペクトルは一つの不対電子を検出すると1本のスペクトル線を示します。これではラジカル分子の構造はわかりませんが不対電子(ラジカル)の近くに水素核や窒素核などがある場合、もともと1本だったスペクトル線は周囲の構造を反映した、超微細分裂とよばれる特徴的な分裂をするようになります。それは、水素核や窒素核が小さな磁石としての性質をもつためです。その様子を詳しく調べることにより、構造についての手掛かりを得ることができます。

 Q6の話で、ESRスペクトルが、磁場の中におかれた常磁性の物質のエネルギー準位のゼーマン分裂をもとに観測されることを学びました。外部磁場によって分裂したエネルギーは、たとえば水素核が不対電子の近くにあるとさらに2本に分裂します。その結果スペクトル線は1:1の強度の2本にわかれて現れます。窒素核が近くにあれば1:1:1の等価な3本線に分裂します。この分裂の本数や別れ方を詳しく調べることによって、不対電子の近くに存在する水素核、窒素核などの種類や数を知ることができます。

 下の図は溶液中で観測したイソブチロニトリルラジカルのスペクトルで、等価な6つの水素核によって1:6:15:20:15:6:1の7本線に分かれ、そのそれぞれが窒素核によってさらに1:1:1の3本に分かれています。このことから図に示すような構造のラジカルであることがわかります。

Category: ESR50Qs

 ラジカルとはどのような物質でしょう?化学の分野では、不対電子(1つの電子軌道のなかでペアになっていない電子)をもつ原子、分子、またはイオンをラジカル(または遊離基)といいます。医学・薬学の分野では生体に関連するラジカルをフリーラジカルとよぶことがあり、また、不対電子を持つことにとらわれず、反応性が高く短寿命の中間化学種の総称という広い定義もあります。ESR法は、ラジカルのような常磁性物質を直接検出できる唯一の分析法ですが、常温・常圧ですべてのラジカルを検出することはできません。

 たとえば、生体で生成する幾つかの活性酸素はフリーラジカルですが、市販のX-バンドESR装置では測れないほど低濃度で反応寿命が短いものです。そのため、試験管内で酵素反応や光増感反応などを利用して活性酸素を発生させ、安定化した後に定性・定量分析を行います。

 ESR法を用いた代表的な定性・定量分析法には、スピントラップ法があります。不安定なフリーラジカルを安定にするための試薬(スピントラップ剤)によって寿命を長くし、常温・常圧でX-バンドESR計測が可能になります(下図)。ESR信号波形からラジカルの定性的な情報を取得し、ESR信号面積や線幅が等しい場合はESR信号強度からラジカルの定量的な情報を解析できます。

Category: ESR50Qs

 一般に使われているESRは定常状態ESRといって測定時にスペクトルを変換するために100 kHzの磁場変調という操作をします。これは写真機のシャッタースピードのようなもので、この操作によりスペクトルがより見やすくなる反面、100 kHzつまり10万分の1秒よりも速い反応は観測できないことになります。この問題を解決して、それよりも速い反応を観測する方法が時間分解ESRです。

 この方法はパルスレーザーとESR装置を使います。レーザーを照射してラジカルを発生させます。このラジカルは、生成直後は電子スピンが異常な分極をしていて、徐々に緩和して定常状態へと向かいます。この緩和がESR信号として観測されます。このような現象を化学的に誘起された動的な電子スピンの分極(Chemically Induced Dynamic Electron Spin Polarization, CIDEP)と呼びます。この現象を利用すると1千万分の1秒から100万分の1秒くらいの短い化学反応を観測できます。

 例としてラジカル重合反応が始まる反応を挙げます。レーザーパルスによって開始剤が光分解してラジカルが発生し、近くにいるモノマーに付加します。この反応は速すぎて磁場変調をかけるESRでは観測できませんが、時間分解ESRでは観測できます。スペクトルは3次元で、時間軸と磁場軸があることがわかります。

Category: ESR50Qs

 通常、物質中の電子はペアになって原子の周りの一つの軌道に収まっています(対電子)。ESRでは、ペアになっていない不対電子を測定します。不対電子は、小さな磁石のようなもので、電磁波の高周波磁場によって動かされ、その向きを変えるとき、マイクロ波の吸収が起こるのです。外側の軌道にあって電子1個になっているものは、対電子を作ろうとして反応性が高くなっており、ラジカルとか活性種という呼び方をされる場合もあります。

 さて、対電子から不対電子を作るには、軌道にある対電子を、一個はじき出す(電離)必要があります。これはγ線などの電離放射線を受けることで起こります。放射線を多く浴びた物質は、電離を重ねているので、不対電子が多くたまっています。不対電子の数は、ESR信号の強度に反映されるため、放射線の被曝線量がこれでわかることになります。実際は、物質ごとに放射線量とESR信号のグラフを作って、被曝線量計として用いることができます。アミノ酸の一種であるアラニンや砂糖、歯エナメルなどはESR放射線線量計として用いることができます。

 ESR年代測定では、化石(骨)や鉱物を用いて、自然放射線を浴び続けた物質中の、長時間安定な反応性の低い不対電子を対象とします。単純には、被曝線量を別に推定した1年当たりの線量で割れば年代値が求められます。人類学などで重要な第四紀後半(~100万年)の年代測定に用いられています。

Category: ESR50Qs

 皆さん、ポテトチップなど油で揚げたお菓子は好きですか?ポテトチップはカロリーが高いので、非常食などにはいいとされていますが、食べすぎには気をつけましょう。

 さて、このような油で揚げたお菓子は、空気にさらすと、油がだんだん酸化します。酸素に触れて酸化物になるわけで、このような状態を過酸化物といい、特にアルキル基(炭化水素の集団)をR、酸素をOとしてROO·の形をしたものを過酸化ラジカルと呼びます。多くの有機物質[RH:アルキル基-水素]の反応は、酸化反応でRH+OH· → R·+H2Oのように有機物質[RH]から水素が奪われます。生成された有機遊離基R·は、酸素があるとROO·をつくるのです。お菓子の袋は窒素ガスで充填してありますが、これは油の酸化を防ぐためでもあります

 過酸化ラジカルはESRによって測定できます。油で揚げたものの破片を試料管に入れて、ESRで測定すると、時間とともに過酸化ラジカルの信号が大きくなっていくことがわかります。逆にたどれば、何日前に開封したものかもわかるわけです。一種のESR年代測定ですね。ここでは温度に依存する酸化反応を、時間をおいてみているわけです。同様に自動車の潤滑油(エンジンオイル)なども使用時間とともに過酸化ラジカルが蓄積していきます。

 もっとも最近のお菓子では、抗酸化剤の添加がすすんで、過酸化ラジカルの生成が抑えられる傾向にあります。いわゆるビタミンCなどに代表される抗酸化剤は、お茶のペットボトルを含め、さまざまなものに加えられています。

Category: ESR50Qs

 不対電子の空間的な分布を見えるようにするのがESRイメージングです。不対電子を持つ分子が生き物の体の中にあれば、原理的にはそれらを画像化できそうですが、実際には、測定装置の感度に限界があるため、生き物が体の中で自然に作り出す不対電子を持つ分子の測定は簡単にはできません。そこで、マウスなどの小動物に不対電子を持つ分子(プローブ)を投与することにより、プローブの不対電子を利用して、ESRイメージングが行われます。プローブの特性により体の中の特定の情報を画像化することができます。具体的には、生体組織でのプローブの分布、酸素分圧、pH、酸化還元状態など、目では見えない情報を画像として見ることができます。

 ESRイメージングは、不対電子(電子スピン)を検出しますが、核磁気共鳴(NMR)は原子核を検出することができます。磁気共鳴現象を用いた画像化法で最も広く普及しているのが病院で用いられている磁気共鳴イメージング(MRI)です。水素の原子核(核スピン)の情報を画像化することにより、体の中の様子を見ることができます。ESRイメージングは、体の中の形を画像化することはできませんが、MRIや他の方法では測定が難しい情報を測定することができます。

Category: ESR50Qs

 電子は電子スピンをもつため、ミクロな磁石になっています。一方、一部の原子核は核スピンをもち、電子の2000分の1程度の弱い磁石になっています。原子や分子がもつ電子の一部はいろいろな場所に移動しており、時には原子核の位置に存在することもできます。このとき、電子スピンは核スピンの磁石から、外部磁場よりはるかに小さいが無視できない程度の大きさの磁場を受けます。これにより、電子のエネルギーが少しだけ高くなったり低くなったりします。原子核のもつ核スピンの大きさにより、マイクロ波の吸収に変化が生じ、等間隔で何本かのピークをもつようなESRスペクトルが観測されます。これを超微細分裂(超微細結合)と言います。近くにある原子核の種類により、分裂の本数や強度比は変わります。

 原子や分子の中の電子は存在できる場所が限られており、これを「軌道」と呼びます。電子は持っているエネルギーによって異なる軌道に存在します。s軌道とよばれる球型の軌道に電子がある場合、超微細分裂は電子と原子核の位置関係によらない(等方的な)一定の大きさになります。これをフェルミの接触相互作用と言います。また、p軌道やd軌道など、いびつな形の軌道の電子と核スピンの間の超微細分裂は、電子と核スピンの位置関係によって異なる大きさ(異方的)になります。このことを利用し、電子スピンがある位置にどの程度局在化しているのか(スピン密度)が分かります。また、分裂の本数と大きさから、そばにどんな原子核が存在するかが分かります。さらに、異方的な超微細分裂は、電子そのもの、あるいは原子や分子の運動によって打ち消されるため、その変化から分子の運動の状態を調べることもできます。

Category: ESR50Qs

 交換相互作用と磁気双極子相互作用はどちらも電子スピン間に働く相互作用です。

 交換相互作用とはスピンの向きを揃える量子力学的な相互作用です。S=1/2の電子スピンが2つあるとき交換相互作用が十分強ければ、S=1(スピンが同じ向きに揃った状態)とS=0(スピンが反対向きに揃った状態)の状態を作ります。S=1とS=0のどちらを安定に作るかは交換相互作用の符号によって決まります。また、結晶を構成する原子・分子間でスピンが全て同じ方向に揃うと磁石(強磁性体)になります。

 磁気双極子相互作用とは古典力学でいうと、いわゆる磁石が引っ付く/反発する力です。磁気双極子相互作用はS=1以上の固相系のESRで観測されるゼロ磁場分裂の原因の1つとなります。

 簡単な例として励起三重項ベンゼンについて考えてみましょう。ベンゼンの励起一重項状態と励起三重項状態のエネルギー差はおよそ 10000 cm-1です。このエネルギー差の半分が交換相互作用になります(5000 cm-1)。一方、励起三重項ベンゼンのゼロ磁場分裂のエネルギー(D値)はおよそ 0.16 cm-1です(ベンゼンは重元素を含まないためスピン軌道相互作用がなく、磁気双極子のみ働くと仮定した)。このように交換相互作用と磁気双極子相互作用は電子スピン間に働く相互作用という点では同じですが、エネルギーのオーダーがケタ違いに離れていることがわかります。

Category: ESR50Qs

 ESR測定では、しばしば大気中の酸素分子の信号が観測されることがあります。ESRキャビティーに窒素置換をせずに、300から1000 mT程度の広範囲でESR信号を記録すると、ベースラインが大きくドリフトして、とてもブロードなESR信号が観測されます。この信号はESRキャビティーに窒素置換を行うと完全に消失します。つまり、このESR信号は2個の不対電子有する大気中の酸素分子に由来することがわかります。ESRのテキストにはキャビティーを窒素置換する必要性が説明されているのはこのためです。

 気相の酸素を10 Pa程度に減圧し、室温でESRを300から950 mTの範囲で記録すると、多数の鋭いESR信号が観測されます。これが気相の酸素分子本来のESR信号で、酸素の振動、回転などの準位によってこのように多数の分裂が生じます。気相の常磁性種について、分解能のよいESRスペクトルを観測するには、減圧下でサンプリングする必要があります。

Category: ESR50Qs

 ESR法を用いれば、物質に含まれる電子スピンがどの様な振動数の電磁波(マイクロ波)と共鳴し、エネルギーを吸収するかを調べることが出来ます。ある特定の振動数をもつマイクロ波を連続的に照射しながら、物質がどのような条件の下でそのマイクロ波を吸収するかを調べる方法と、いろいろな振動数成分を含むマイクロ波を照射してその中からどのようなマイクロ波を吸収したのかを区別する方法の2つが考えられます。

 前者は、一定のマイクロ波に対して静磁場の大きさを変えながら共鳴条件を探す方法(連続法)です。これは、マイクロ波を楽器の一つの音に見立てると、音を一つずつ確認しながら、音程が外れた音の原因を探る作業に似ています。

 後者は、一斉に鳴らしたいろいろな音を聴き、その中にどのような音が含まれているかを一度で聞き分ける(区別する)方法に似ています。ある限られた時間だけ発生させた強いマイクロ波のパルス波を用いれば、マイクロ波周波数を中心にパルス幅の逆数程度の広がりを持つマイクロ波を照射することができるため、マイクロ波パルス照射により吸収される電磁波は、パルス照射後の電子スピンの応答を時間軸のスペクトルとして観測できます。このようにマイクロ波パルスを用いる方法をパルスESRと言います。フーリエ変換といわれる数学的な手法を用いれば、電子スピンの時間応答を周波数で分割することができるのでフーリエ変換ESRとも言われています。

Category: ESR50Qs

 PELDORはPulsed ELectron-electron DOuble Resonance法の略で、DEERはDouble Electron-Electron Resonance法の略です。名前は違いますが同じ方法です。この方法を開発したのはTsuvetokovとMolinの二人のロシアの先生です。電子スピン間の20-100 Åの距離を測るパルスESRの方法です。信号感度が大変強く、また距離の精度も高いため、幅広く使われるようになりました。距離測定には電子スピン同士が磁石として引き合う力“磁気的双極子相互作用”を測定しますが、横軸に周波数をとると大きな2つの信号を鹿の角のように見たてられる形ができます(図)。

 “DEER”のネーミングは鹿に因んだ洒落が込められていると思います。しかし、この手法が広まるにつれ発表される論文の数も多くなりました。どのような研究がされているのかを調べるのには文献検索が必要ですが、DEER=鹿なので “鹿”の研究も随分混在してでてきます。これではまぎらわしいといってTsvetokov先生ご本人は “PELDOR”を使うことを積極的に勧めていらっしゃいました。自ら付けた名前であることも理由でしょうね。

 “ESR”と“EPR”も2つ名前があって煩わしいですね。この2つは正確には意味が違いますがほぼ同じものとして使っています。同様にPELDORとDEERもどちらかに統一したとしても併記は必要でしょうね。

Category: ESR50Qs

 普段使うコンピュータ上では、0または1という2つの状態のどちらかだけで記述されるビットを組み合わせて全ての情報を形作ります。そのような情報を操作することで、情報の変換や演算を行っています。コンピュータの世界は、最小単位が0又は1のみで構成される2進数の世界で、0と1の中間などを考える余地は全くありません。一方、量子コンピュータは、“量子性”を利用して情報処理に活かそうとするものです。上述のビットに対応する情報の最小単位は、量子ビットと呼ばれ、0と1の中間(0と1の重ね合わせ)を思考の中に組み入れることが可能になります。量子ビットを組み合わせた量子状態を情報として利用し、重ね合わせ状態を積極的に活用することで、並列化など飛躍的な演算処理の高速化を図ろうとするものです。因数分解やデータ検索では桁数やデータ数が多くなればなるほど量子コンピュータの方が処理能力に優れていることが分かっています。

 ESRは磁場中でゼーマン分裂した電子スピンの上向きと下向きの2つの状態間で生じる共鳴現象を観測するものです。この電子スピンの2つの状態は、マイクロ波パルスを使うことにより重ね合わせ状態を作り出すことができます。複数の電子スピンを個別に扱うことができれば量子ビットの組み合わせとしても拡張できるため、電子スピンの量子状態を情報として実装できることになります。

Category: ESR50Qs

 製品の品質管理に利用されます。例えば、発酵酒は保管中に酸化反応による劣化を起こすことが知られおり、酸素の存在下では一定期間後に活性酸素種の生成が顕著となり、風味や香味に影響を与えます。植物油の酸敗臭は不飽和脂肪酸の酸化が原因で起こり、製品の風味に影響します。ESRは、ビールの香味安定性評価や油の酸化の評価に用いられています。ESRによる評価の結果を参考にすることで、適切な保存方法や加工方法の最適化を検討することができます。

 また製品の劣化は、ラジカルや遷移金属が関係することがあります。ESRを用いることで、その劣化に関係するラジカルの経時変化を把握することが可能です。例えば、塗料は光や熱などの刺激を受けると塗料を構成する分子構造が変化し、劣化が進行します。その際、分子結合が切れてラジカルが発生します。この発生したラジカルを ESR にて観測することで劣化の評価をすることができます。一般的に、屋外曝露試験は塗膜の寿命を決定するのに適した方法ですが、塗膜によっては長い時間が必要なことに加え、気候条件の変動などにより一定の曝露条件が得られないことがあります。そのため、劣化現象を短時間で再現し、ESR により評価することで塗料の開発に貢献できる可能性があります。

 その他に、製品の滅菌を行う過程でラジカルが生じることもよくあります。ESRにより、滅菌済みの製品の安定性や、そのラジカルの特性を評価することが可能です。

Category: ESR50Qs

 EDMRは電気検出磁気共鳴(Electrically Detected Magnetic Resonance)法の略称です。整流ダイオード、発光ダイオード(LED)、太陽電池、燃料電池などの半導体が測定対象となります。

 禁制帯(伝導帯と価電子帯のエネルギー差)には、電子またはホールの一方のキャリア(電荷を担うもの)を捕獲すると直ちに他方のキャリアを捕獲する機能をもつ再結合中心と呼ばれる格子欠陥(不純物準位)があります。再結合中心の電子スピンをESRにより反転させるとホールとの再結合確率が変化することで、電気抵抗の変化が生じるためこれを電流の変化として検出します。電流変化を検出するため、通常のESRよりも感度が良いとされています。EDMR測定では電極をつないだ試料を共振器に設置し、通常のESR測定と同様にマイクロ波を照射しながら磁場を掃引して電気抵抗の変化を調べます。

 半導体の EDMR 信号が容易に観察されるかどうかは、禁制帯中での再結合中心の位置に依存すると言われています。深い準位に再結合中心がある場合は、室温でも比較的容易に EDMR 信号が観測されます。一方、浅い凖位に再結合中心が存在する場合、極低温まで冷却することではじめて観測される場合があります。

Category: ESR50Qs

 電子スピン共鳴(ESR)装置は不対電子を有する物質、例えばラジカルや遷移金属イオンなどを検出・同定できる唯一の分析機器である。鉄、銅、マンガンなどの遷移金属は生体に重要な金属でタンパク質に結合して働きますので、ヘモグロビンなどタンパク質との配位構造がESRを用いて研究されて来ました。配位構造をESRで調べることで、タンパク質の種類を逆に決めることもできます。

 また放射線によって生じた活性酸素や短寿命の生体物質のラジカルも研究対象になっています。生体内では活性酸素が様々な場所で生成されDNAやタンパク質と反応して損傷を与えます。活性酸素を安定な物質にして調べるスピントラッピング法や生体内での存在場所を調べるESR画像法が開発されています。

 植物では光合成の化学反応は光によって引き起こされますが、初期状態は葉緑体などの膜にあるタンパク質に生じるラジカル不対電子です。また渡り鳥をはじめ生物は、光受容タンパク質に光で生成したラジカル不対電子を用いて、地磁気を受容して方角を知ることが示唆されています。この研究にもESRが使われています。

 通常のタンパク質は不対電子を持っていません。そこで、ラジカル化合物や常磁性金属イオンをタンパク質に結合させて標識するスピンラベル法が開発され、タンパク質の回転運動や標識間距離がESRにより精密に測定できるようになりました。これらの研究によって、相互作用して巨大化して働いているタンパク質複合体の立体構造とダイナミクスが解析できるのです。

Category: ESR50Qs

 「活性酸素種」は英語で「reactive oxygen species略してROS」と呼ばれます。これの言葉は1990年代から頻繁に使用されるようになりました。今では「酸素に由来する、体によくない化学種」として広く通用しています。

 我々のような好気性生物にとって酸素分子は必要ですが、酸素からエネルギーを獲得する過程(代謝)で副産される「体によくない」化学種が「活性酸素種」です。下図に示したのは、酸素から水に至る4電子4プロトン酸化還元反応を整理したもので、縦軸は電子の授受、横軸はプロトンの授受に相当します。たとえば、酸素が2電子2プロトン還元されると過酸化水素に到達します。ここで、過酸化水素の酸化数は「H2O」を差し引いても変化しないので、過酸化水素を水と酸素原子(H2O2 = H2O + O)と見なしています。そして、酸素原子から水に至る2電子、2プロトン酸化還元反応を続けると酸素から水に至るスキームが完成します。

 このスキームの破線で囲った領域に主要な「活性酸素種」が含まれています。まず、酸素の1電子還元種(O2)にはL. Pauling(ノーベル化学賞1954年、ノーベル平和賞1962年)によって特別な呼称「スーパーオキシドアニオンラジカル」が与えられています。酸素の代謝反応で副産されるO2は代表的な活性酸素種であり、炎症やがん化の遠因となります。次に、酸素原子の1電子、1プロトン還元種であるヒドロキシルラジカル(·OH)はほぼすべての有機物を素早く酸化する最強の反応性を備えた活性酸素種です。いずれの活性酸素もラジカル種ですから、両者はESR研究の対象になります。このほかにも、·OHの生成源となる過酸化水素や酸素の励起種である一重項酸素(1O2)も広い意味では活性酸素種に含まれます。

Category: ESR50Qs

 スピントラッピング法は1960年代に複数のグループによって見いだされた、短寿命ラジカル種を間接的に検出する測定手法の呼称です。この方法では、次式のように短寿命なラジカル種がスピントラピング剤に付加して生成する準安定なニトロキシドラジカル(スピンアダクトと呼ばれます)がESRの測定対象です。スピントラピング剤としては、下記のニトロソ、ニトロンおよび環状ニトロソ化合物が使用されています。

 たとえば、短寿命なメチルラジカル(·CH3)が2-nitropropane (MNP)の窒素原子上に付加すると比較的長寿命なスピンアダクト(MNP/CH3)と呼ばれるニトロキシドラジカルが生成します。このスピンアダクトのESR微細分裂には窒素原子の3本線の他に、MNPが補足したメチルラジカルによる4本線が観測されます。スピンアダクトの微細分裂から補足した短寿命ラジカル種の構造について定性的な情報が得られます。このように、通常は検出が困難な短寿命ラジカルをスピンアダクトとして間接的に検出し、その微細分裂から短寿命ラジカル種の構造が推定できるのがスピントラッピング法の利点です。この手法は、ラジカル重合反応系などに関与する短寿命ラジカル種の検出に応用され、その結果から反応機構などが議論されています。

 環状ニトロン化合物であるDMPOは、O2および·OHと素早くスピンアダクト(DMPO/O2およびDMPO/OH)を生成する優れたスピントラッピング試薬です。DMPO/O2およびDMPO/OHは異なるESR微細分裂を示すことから、O2と·OHを区別して検出できる唯一の手法として、特に生化学の分野で多用されています。さらに、DMPOとO2および·OHの2次反応速度定数(k1)が評価されたことで、DMPOを使用したスピントラピング法は抗酸化活性物質の活性酸素消去反応を対象とする反応速度論的な手法としても発展しています。

Category: ESR50Qs

 スピンラベル法はタンパク質などの生体分子を対象としたESRを用いた構造解析の方法の一つです。この方法では目的物質にESRで検出可能なニトロオキシドラジカルなどのスピンプローブでラベルし、ESR測定から得られるスプンプローブの等方性回転運動(どの方向から見ても等しい自由運動)、異方性回転運動(物理量が方向に依存して変化する運動)、スピンプローブ同士の相互作用やスピンプローブとその周辺のラジカルとの相互作用(スピン-スピン相互作用やスピン交換相互作用)などを観測します。これらの情報から物質の運動性、脂質の中での配向度、スピン間の距離計測などの情報を得ることができます。

 タンパク質のスピンラベルでは、以前は任意な場所をスピンラベルすることが困難であったため、詳細な構造の解析が難しかったのですが、最近の遺伝子工学の発展から、任意の位置のアミノ酸の位置にスピンプローブを導入(部位特異的スピンラベル法:SDSL)することが可能になり、任意の二点間の距離情報を得ることができるようになりました。また、パルス波ESRを用いることで、この距離計測では旧来型の連続波ESRでは2.5 nmが限界だったのが、8 nmまでの計測が可能になってきています。

 構造生物学ではNMRとX線解析が重要な解析法として広く用いられており、それぞれ非常に有用で優れた方法ですが、NMRでは高次構造をとる巨大タンパク質や速い運動を捉えるのが困難な場合があることや、X線解析法では結晶化できない物質の場合は適応できないという欠点もあります。スピンラベル法は非結晶高分子タンパク質や膜タンパク質でもその運動性や距離情報を得られるという優位点があり、従来方法の不得意な点を補完・克服する方法として近年、広く用いられるようになってきております。

Category: ESR50Qs

 ゼーマンおよびシュテルンらの実験の結果から、1922年にスピンは発見されたと思われる。

 磁場が光に影響することは、1896年にオランダのゼーマンによって発見される。彼は、オランダの小さな町に生まれ、幼い頃から生物や物理、天文に興味をいただいたのでしょう。彼が17歳ときに、オランダでは珍しいオーロラを見て、原子が発光しているのではと感じたのでしょう。ゼーマン効果は、そんな彼だからこそ、ナトリウム原子を磁場の中で発光させた時にD線が分裂する実験事実を見つけたのかもしれない [1] 。(関連事項としてQ6を参照

 1922年にシュテルン(独)とゲルラッハ(独)が行った実験によって、スピンの存在が決定づけられる [2] 。彼らは、銀を高温の炉で蒸発させ、銀原子をスリットで絞り、原子線を作る。原子線が不均一磁場中を通過すると、原子線像は2本に分裂した。ラーモアの角振動数モデルからは、磁場によって、原子線像は奇数本に分裂すると予想していた。しかし、実験事実は2本であり、これまでの量子力学の考え方では説明ができないので、新しい概念として電子の自転運動を導入し、それをスピンと名付けた。(詳細はQ5を参照)

Category: ESR50Qs

 電子スピン共鳴(ESR)現象は、ソ連の物理学者 Zavoisky がCu2+のESR 吸収の観測に初めて成功し、その成果は1945 年にソ連の物理学会誌に発表されました。( Q50参照 )

 日本では、1962年に日本化学会・日本化学近畿支部共催の第一回ESR討論会(現在の電子スピンサイエンス学会)が大阪大学松下記念館で開催されました。ESR討論会には放射線化学、高分子化学、光化学、有機物理化学、生物化学など幅広い分野の専門家が参会しました。

 ESR装置は、磁気共鳴の現象を理論的に解明することを目的として開発されました。現在、日本電子株式会社とBrukerが汎用型のESR装置を販売していますが、過去にはVarian Inc. も販売していました。近年では、卓上のESR装置もいくつかの会社から販売されています。日本では数百台のESR装置が、企業、大学、研究機関にて利用されています。

Category: ESR50Qs

 SR/EPR(Electron Spin Resonance/Electron Paramagnetic Resonance)は端的に言えば、電子のZeeman準位間の磁気モーメントの量子遷移(共鳴)(Larmor回転)であり、最初の実験的観測はロシア(当時ソ連)のYevgeny Konstaninovich Zavoisky [1] によってCuSO4・5H2O(固相、g=1.94)について1945年に行われたと多くのテキストに記載されているが[2]、ESR/EPRの発見は若きZavoiskyの学位論文がモスクワの当時のソ連科学アカデミーに受理された1944年5月をもって発見の公式の日づけとされている [3]。驚いたことに、ZavoiskyはMnSO4・4H2Oについてすでに超微細禁制遷移も発見しており、多量子遷移にも言及している。

 Zavoiskyの歴史的発見は、不幸にも正当な国際的な認知が遅れただけでなく軍事技術の利用などという根拠のない謂れも伴い、BlochやPurcellと共にノーベル物理学賞の栄誉を受けることを逸した。その後Nobel Prize Nomination Databaseによると、1958年から1966年の間に17件ノーベル賞候補に推薦されているが、広く磁気共鳴分野の国際会議や科学の世界においてZavoiskyの歴史的功績が公平に認知されるのは、1969年以降、あるいは1976年以降である [4]。

 Zavoiskyと協力者の尽力により [5]、ESR/EPRの発見はNMRのそれよりも早いが、気相系に比べてはるかに複雑な固相や液相で磁気共鳴が同時期になされたのは、第2次世界大戦を契機に発展したマイクロ波や超短波の発振技術・通信分光技術、微弱な電波検出素子(半導体ダイオード)の発展が背景にあったことは事実と思われるが、それに以上に当時の学問的背景・要請のようなものがあったと思われる。George E. Pakeは、有名な著書 ”Paramagnetic Resonance” (W. A. Benjamin, Inc., NY, 1962)の中で、当時の低温物理学者の間で電子磁子(スピン)の集合と結晶格子の振動の自由度との熱的接触に関して重大な関心(断熱消磁)があり、電子スピン共鳴の実験が「この熱交換にはどれくらいの時間を必要とするか」というスピンー格子緩和時間について、多くのことを示唆すると考えていたことを述べている。同様の視点を、伊達宗行大阪大学名誉教授が、「電子スピン共鳴」(新物理学シリーズ20、培風館1978年)の冒頭の「1-1スピン共鳴の発見」で一層包括的に看破しているのは、画期的な発見の背後には時として人間の知的活動に特有なドラマのようなものがあることを語っていて、この一節は今日でも新鮮な感を与える。

 レーザーと同じ原理で動作する室温メーザー(有機分子の ππ* 励起三重項状態におけるマイクロ波発振)がメーザーの発見後に登場したレーザーのその後の著しい発展の陰に隠れて一見顧みられなくなっていた昨今、一転して深宇宙通信の主役として脚光を浴びる時代は、独創的なアイディアが確かに時代を先取りすることを教えている。最先端の量子スピン技術を支えるZavoiskyの発見も同様である。

【文献】
[1] Sept. 28, 1907 - Oct. 9, 1976. Kazan State Univ.(ロシアで3番目に古い大学で、 現Kazan Federal Univ.)の物理学者で、第2次世界大戦の影響で当時のソ連科学アカデミーの多くの研究所は、研究者の家族ぐるみでKazanへ疎開していた(Landauもその一人で、Kazan Federal Univ.には、自らは本を執筆しなかったと言われるLandauのメモが多く残されている)。
[2] E. Zavoisky, Spin-Magnetic Resonance in Paramagnetics, J. Phys. USSR, 9, 245 (1945).
[3] E. K. Zavoisky, Paramagnetic Absorption in Orthogonal and parallel Fields for Salts, Solutions and Metals, Thesis in Russian (Kazan State University, 1944).
[4] Kazan State Univ.には、Zavosikyの名前を冠したZavoisky Physical-Technical Institute、博物館をはじめ歴史的功績を顕彰する施設、モニュメントや、恒常的な国際事業が行われている。中でもKazan Federal Univ.が所在するタタールスタン共和国の大賞でもあるZavoisky Awardは、当時のInstitute所長のProf. K. M. Salikhovによって1991年に創設され、日本人科学者が2019年時点で3人受賞している。
[5] この間の事情は、「入門電子スピンサイエンス&スピンテクノロジー、第7章ESRはいかに発明されたかーESRの黎明」(電子スピンサイエンス学会監修、米田出版2010年)に、Zavoiskyの直接の協力者のYu. V. Yablokovが寄稿しているが(故下山雄平訳)、”The Beginning of Paramagnetic Resonance”(B. I. Kochelaev, Yu. V. Yablokov, World Scientific, 1995) に詳しく書かれている。

Category: ESR50Qs

 今回のESRに関する疑問は以上の50件で終わりとなりますが、皆様の疑問は尽きないことと思います。電子スピンサイエンス学会は、電子スピンに関する科学技術の発展を願っている学会ですので、新たな質問は学会事務局までお寄せいただければと思います。「ESR50のぎもん」以外のかたちでも、様々な疑問解消の道があるかと思います。なお編集作業では、出版社を頼らずに素人の手製をめざしました関係で、お見苦しい箇所が多々あったかと思います。どうかご容赦ください。

 最後に、回答について電子スピンサイエンス学会関係者の方々にボランティアでご尽力いただきました。著作物ではない都合上、各疑問への回答の著者明示は控えさせていただければと思います。ここでは改めて、お力添えいただいた皆様に感謝申し上げます。

発行日  2022年8月16日
発行者 一般社団法人 電子スピンサイエンス学会
編集者 一般社団法人 電子スピンサイエンス学会
学術・事業 担当理事 
第9期 山中千博(大阪大学)
第10期 河合明雄(神奈川大学)